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KEIO GIRLS VOLLEBALL CLUB DIARY

最後のブログ

投稿日時:2019/11/17(日) 18:28

こんにちは。
経済学部4年の早舩瞳子です。


引退して早3週間が経ち、ブログを書くのもこれが最後となりました。
ブログのタイトルに悩み、最終的に去年のゆうなさん(平成31卒)のタイトルをパクりました。すみません。

さて私は、引退3日後から白土(経4)が書いていたように同期数人でスペインへ逃亡し、
今週いっぱいは、留学している友達に会いにオーストラリアへ行く、といった現役時代は絶対にできなかったことを満喫しております。
この3週間国外逃亡を続けて非日常を味わいすぎたため、正直引退の実感はあまり湧いていません(いまだに)。
夜に練習があるという当たり前の日々がなくなり、家でのんびりしたり、夜に予定を入れれるようになったり、それが日常になってふと寂しくなったら、それが引退の実感なのかなと思っています。



この半年は怪我に悩まされ、思うようにプレーできず、やっと私はこういう役割を全うしたい!というのがはっきり見えた矢先でとても辛く、悩んだ期間となりました。


しかし、悪いことばかりでもなく
春リーグでは初めてしっかりと試合に出る経験ができ、早慶戦にも3度目で初めて出ることができました。
中学高校は弱小チームでプレーしてた私にとって、慶應のレベルは遥かに高く、試合に出るなんて下級生の頃の私にとっては想像ができませんでした。
あんな広い会場であんな多くの観客の中、早稲田のサーブを受けたあの経験は一生忘れないと思います。

しかし、早慶戦後から左手靭帯損傷の治療でプレーを離れ、8月に復帰できたと思えば
秋リーグ戦を週末に控えた練習で右手首靭帯を損傷し、ギプス固定。
なんてタイミングが悪いんだと神様を恨みましたし、3部昇格に向けて着々と勝利を積み重ねていくチームの姿に嬉しい反面、自分だけ取り残されているような寂しさ、本来なら一緒に勝利を掴めたかもしれないという悔しさに、大学に入って初めて部活のことで泣きました。

最終戦まで1週間というタイミングでギプスがとれ、かすみ(環4)の後押しがあったからこそ最後にまたプレーに復帰することができ、
そして1ヶ月以上もプレーを離れていたにも関わらず、私を信頼して試合にださせてくれた青木監督、かすみには感謝でいっぱいです。
やっぱりバレーボールは楽しいな!!!と強く思った、そんな最後の一週間でした。



特定の人の名前をあげるのはどうかと憚っていたのですが、この二人抜きにしてわたしの部活生活は考えられないので、最後に二人に向けて少し書きたいと思います。
というのも準硬式野球部のブログを読んで感化されました。笑

冷めてると言われがちな私ですが、ここからは二人へ向けたラブレターなので飛ばして下さって構いません。むしろ飛ばして下さい。





まずは葵さん(平成31卒)

中学高校のバレーレベルも似てて、家は歩いて2分の距離で、何かと可愛がってもらいました。
「瞳子がそんなに先輩になつくなんて珍しい」と同期に言われてたのを思い出します。
昨年の9月頃、「瞳子はレシーバーが向いてると思うよ。だってレシーブしてるときの瞳子めっちゃ楽しそうだよ?やってみなよ。」と蝮の階段を降りてるときに言われたのがきっかけで、レシーバーに転向しました。
心のどこかでずっと、レシーバーをやりたいなと思っていたけれど自分からは言い出せなかった私にとって、葵さんの一声で最後の1年のバレー生活は大きくかわりました。
言わなくても見ててくれて、そして感じ取ってくれる。さりげなく話を聞いてくれて、励ましてくれる。そんな葵さんの存在にずっと救われていましたし、最高学年としての最後の1年の目標は葵さんでした。
葵さんのような先輩には全然なれませんでしたが、瞳子さんがいてくれてよかったな、ってちょっとでも言ってくれる後輩がいれば本望です。
面と向かって感謝は伝えられなかったので(ちょっと恥ずかしくて)、これを読んでくれてたら幸いです。(読んでない気がする)



そしてよしの(経4)

本当に本当に、よしのがいなかったらバレー部入っていなかったなと。
きっと某部活を続けるか、ちゃらんぽらんな生活するか、のどちらかだったと思います。
よしのは女子学院、私は雙葉なので何かと共通点が多かったのですが
中学時代、地区大会が一緒で試合で対戦したり、練習試合をしたり(よしのは私を覚えてない)
吉祥寺の駿台で同じ現代文の授業受けていたり(よしのは雙葉の制服いるなぁくらいしか覚えてない)
御茶ノ水の駿台での夏期講習と冬期講習でも、小論文の授業が同じだったり(よしの全く覚えてない)
高3時代、私が荻窪の早稲アカに向かうとき、他塾へ行くよしのを何度も見かけたり(よしの気づいてるわけない)
と6年間私の片思いでしたが、体育会バレーボール部に入って晴れてよしのに認知してもらえました。

そんなよしのとは、家も近く、一時間半の帰り道を共にするなど、だんとつで多くの時間を一緒に過ごしてきました。
価値観や考え方も同じな彼女の存在に支えられたこの3年ちょっとでした。
幼稚園から高校まで一貫校という温室でぬくぬく育った私にとって、慶應バレー部というそれぞれのバックグラウンドが全然違う中での生活は、正直しんどい時もありました。
その中で、よしのという私をわかってくれる人の存在はとても大きかったです。
私の存在も、よしのを支えられてれば幸いです。たぶん支えれてたはず!
本当にありがとう。




最後は葵さんとよしのへ送るラブレターになってしまいましたが、もし全部読んでくださった方いらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。


体育会生活を終えた今、振り返ってみてバレーボール部に入って本当によかった、そう思えることがこの3年半がかけがえのない財産になった証拠だと思います。

個性豊かな同期に恵まれ、高校時代も同期8人ではありましたが、全く違った部活生活を送ることができました。
この7人と同期で本当によかったです。ありがとう、いつか8人で飲みましょう笑


後輩たちには、引退した時に「バレーボール部にはいって本当によかった」そう思えるような部活生活を送ってほしいと思っています。
可愛い後輩たち、みんなそれぞれの役割を見つけて自分なりに頑張っていってほしいです。



青木監督、野田さん、土井さん
友理さん、英理子さんをはじめとしたOGの方々
本当にお世話になりました。ありがとうございました。



悔いも多く残る部活生活でしたが、自分が思っていた役割の半分くらいはできたかな?できていればよいなと思っています。
社会人に向けて、まずは遊び尽くします!
そして、体育会生活で学んだことを社会人になっても忘れず、立派な大人になれるよう頑張ります!



乱文にもほどがありますが、最後ということでお許し下さい。


最後になりますが、チーム2019を応援して下さり、本当にありがとうございました。
チーム2020もどうぞよろしくお願い致します。


早舩瞳子

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