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ブログ 2019/11
誇り[KEIO GIRLS VOLLEBALL CLUB DIARY]
投稿日時:2019/11/24(日) 20:20
季節の変わり目に卒論仕上げとアルバイトで忙殺され、どんどん痩せていって、、ということはなく、運動不足で体型の変化に危機感を抱いております。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
4年生のラストブログリレーも終盤、最後から2番目を担当させていただきます。
商学部4年の村井来路です。
秋リーグ順位決定戦から約1ヶ月経ち、友成(商3)と矢野(政3)が率いるチーム2020はもう始動しておりますが、私はというとまだまだ引退の実感がなく、バレーボールがなくなった日常にすっかり馴染んでしまい、このまま引退の余韻に浸れなかったらどうしよう、と少々不安です。
今回は、甚だ僭越ながら自身のバレー生活について振り返り、最後に支えてくださった皆様への感謝の気持ちをお伝えさせていただこうと思います。
入学当初、某バレーサークルで少し物足りなさを感じていた私は、遅れて7月の入部となりました。
金曜日の体育バレーの授業の後、記念館でぼーっとしていたら、当時の4年生のあつこさん、しいなさん、3年生のしずかさん、それから野田さんが自主練習にいらっしゃいました。図々しくも自分からそこに参加させていただき、ハイレベルな先輩方のプレーを見て、本気でもう一度バレーがしたいと思い、体験入部をさせていただきました。初めて練習に参加したところ、野見山(経4)の勧誘があまりにもグイグイで、半ば強制的な入部だったような気もしますが、熱心に自主練習をする彼女と吉田(環4)の姿を見て、この同期と頑張りたいと思い入部を決意いたしました。
中・高とそれほどレベルが高くない環境でバレーをしていた私は、コートに立たせていただいても足を引っ張るばかりでしたが、それでも本気でバレーボールのスキルを高めようとする先輩方や同期からたくさん刺激を受けて、毎日楽しかったです。
しかし、大学1年の全日本インカレで膝の靭帯を切って、バレーをやめようと思っていた時期もありました。
復帰に1年かかるし、できたとしてもそれまでの7割しかパフォーマンスを発揮できないと言われ、勝手に絶望してました笑
このときはすごく自暴自棄でネガティブで、先輩や同期やスタッフの方々に本当に迷惑をかけました。すみませんでした。
手術までの2ヶ月、何度も自分で考えて、決心して青木監督に辞めると伝えたのに、結局言いくるめられて続けることになりました笑
でもやっぱりあの時辞めなくて本当によかったです。プレーヤーとしてやり通すことで得られる経験を教えてくださり、引き止めてくださった青木監督に本当に感謝しています。
2年生のうちは、プレーに全く参加できず、記念館のギャラリーで、チームがレベルアップしていくのを眺めることしかできず、ガチで毎晩泣いてましたが、来路とまたプレーしたいと言ってくれるチームメイトや、レセプションや試合会場で毎度声をかけてくださるOB・OGの皆様に励まされ、なんとか持ちこたえることができました。
それから、今井先生の存在が私にとってとても大きいです。7割しか回復しないと言って私を絶望させたのも今井先生なのですが笑、先生にリハビリ指導をしていただいた結果、怪我前より絶対に自分のパフォーマンスは上がった自信があります。
プレーできないのが辛くてふてくされながらリハビリ室に行った時も、復帰してから思うようにプレーできなくてしんどい時も、常に私を励まし、奮い立たせてくださいました。私のプレーヤー復帰に対して、私以上に強い思いを持って向き合ってくださった今井先生との出会いがなければ、満足いくパフォーマンスで3部復帰を達成し、清々しい気持ちで引退を迎えることはできなかったし、もしかしたら私はとっくにプレーヤーではなくなっていたかもしれません。ありがとうございました。
最後の1年は、今まで経験したことのないバレーとの関わり方をしました。
昨年4部に降格し、今年の春には復帰を逃し、先輩方が積み重ねてきたものを台無しにしてしまった自分がとても不甲斐なかったです。
これまでの取り組み方では足りないと、吉田主将と何度もチームの話をしました。
正直言って下級生の時の佳純は自分の高いスキルを持て余しながらちゃらんぽらんしていた印象ですが笑、
こんなにバレーボールやチームに対して熱い思いを持っていて、引っ張るために常に自分の向上心をプレーや指導に反映させる彼女の姿勢に、私は強く影響を受けました。
先頭や上に立ってチームをまとめるというより、中心に立って部員を巻き込むようなキャプテンで、私も初めて自分に対してストイックになれたような気がしましたし、部に貢献したいと一層強く感じました。
彼女のバレーとチームの対する真剣な思いがあったからこそ、チーム2019は一人一人が成長を実感し、前に進む組織になれたのだと思います。1年間引っ張り続けてくれてありがとう。
昨年降格した辛さ、春に復帰できなかった悔しさを、自分たちの代で晴らすことができて本当に幸せです。支えてくださる皆様と、一緒に歩んできた部員たちに恵まれすぎていると思います。
後輩たちは、私たちにはない若さ、素直さ、ストイックさを全員が発揮してくれて、本当に本当に毎日の練習で力をもらっていました。上手くなりたい、活躍したいという思いを率直に普段から体現できる後輩たちを心から尊敬しています。このチームの力になりたいという気持ちが強ければ強いほど、壁は高くなり悩みは大きくなると思います。来年からはOGとして、そんな後輩たちの一助となれるよう、最大限のサポートをしていきたいです。一緒に頑張ってくれた後輩にとても感謝しています。みんななら絶対この部活で大きなものを得られると思います。
同期は、普段は個性豊かに賑やかに、時に厳しく、私の足りないところや甘いところを指摘してくれて、様々なことを学ばせてくれました。いろんな方向を向いてしまっている時期もありましたが、これまでの4年生のブログを読んで、それぞれが試行錯誤しながら自分の役割を見つけて、チームを高めようと必死になるこのメンバーで駆け抜けることができ、本当によかったと感じています。
ここまで書いて、やっと引退したんだとしみじみしてきました。13年間バレーを続けてきましたが、大学バレー部での4年間は私の誇りです。
自分のことばかり書いてしまい大変恥ずかしい内容になってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。
最後になりますが、私たちを見捨てずに指導し続けてくださった青木監督、土井コーチ、野田コーチ、今井先生、
何度もご指導・ご声援をいただきましたOB・OGの皆様、
バレー・体育会を通じてお世話になった皆様、本当にありがとうございました。
チーム2020の応援もよろしくお願いいたします。
乱文失礼いたしました。
最後のブログ[KEIO GIRLS VOLLEBALL CLUB DIARY]
投稿日時:2019/11/17(日) 18:28
経済学部4年の早舩瞳子です。
引退して早3週間が経ち、ブログを書くのもこれが最後となりました。
ブログのタイトルに悩み、最終的に去年のゆうなさん(平成31卒)のタイトルをパクりました。すみません。
さて私は、引退3日後から白土(経4)が書いていたように同期数人でスペインへ逃亡し、
今週いっぱいは、留学している友達に会いにオーストラリアへ行く、といった現役時代は絶対にできなかったことを満喫しております。
この3週間国外逃亡を続けて非日常を味わいすぎたため、正直引退の実感はあまり湧いていません(いまだに)。
夜に練習があるという当たり前の日々がなくなり、家でのんびりしたり、夜に予定を入れれるようになったり、それが日常になってふと寂しくなったら、それが引退の実感なのかなと思っています。
この半年は怪我に悩まされ、思うようにプレーできず、やっと私はこういう役割を全うしたい!というのがはっきり見えた矢先でとても辛く、悩んだ期間となりました。
しかし、悪いことばかりでもなく
春リーグでは初めてしっかりと試合に出る経験ができ、早慶戦にも3度目で初めて出ることができました。
中学高校は弱小チームでプレーしてた私にとって、慶應のレベルは遥かに高く、試合に出るなんて下級生の頃の私にとっては想像ができませんでした。
あんな広い会場であんな多くの観客の中、早稲田のサーブを受けたあの経験は一生忘れないと思います。
しかし、早慶戦後から左手靭帯損傷の治療でプレーを離れ、8月に復帰できたと思えば
秋リーグ戦を週末に控えた練習で右手首靭帯を損傷し、ギプス固定。
なんてタイミングが悪いんだと神様を恨みましたし、3部昇格に向けて着々と勝利を積み重ねていくチームの姿に嬉しい反面、自分だけ取り残されているような寂しさ、本来なら一緒に勝利を掴めたかもしれないという悔しさに、大学に入って初めて部活のことで泣きました。
最終戦まで1週間というタイミングでギプスがとれ、かすみ(環4)の後押しがあったからこそ最後にまたプレーに復帰することができ、
そして1ヶ月以上もプレーを離れていたにも関わらず、私を信頼して試合にださせてくれた青木監督、かすみには感謝でいっぱいです。
やっぱりバレーボールは楽しいな!!!と強く思った、そんな最後の一週間でした。
特定の人の名前をあげるのはどうかと憚っていたのですが、この二人抜きにしてわたしの部活生活は考えられないので、最後に二人に向けて少し書きたいと思います。
というのも準硬式野球部のブログを読んで感化されました。笑
冷めてると言われがちな私ですが、ここからは二人へ向けたラブレターなので飛ばして下さって構いません。むしろ飛ばして下さい。
まずは葵さん(平成31卒)
中学高校のバレーレベルも似てて、家は歩いて2分の距離で、何かと可愛がってもらいました。
「瞳子がそんなに先輩になつくなんて珍しい」と同期に言われてたのを思い出します。
昨年の9月頃、「瞳子はレシーバーが向いてると思うよ。だってレシーブしてるときの瞳子めっちゃ楽しそうだよ?やってみなよ。」と蝮の階段を降りてるときに言われたのがきっかけで、レシーバーに転向しました。
心のどこかでずっと、レシーバーをやりたいなと思っていたけれど自分からは言い出せなかった私にとって、葵さんの一声で最後の1年のバレー生活は大きくかわりました。
言わなくても見ててくれて、そして感じ取ってくれる。さりげなく話を聞いてくれて、励ましてくれる。そんな葵さんの存在にずっと救われていましたし、最高学年としての最後の1年の目標は葵さんでした。
葵さんのような先輩には全然なれませんでしたが、瞳子さんがいてくれてよかったな、ってちょっとでも言ってくれる後輩がいれば本望です。
面と向かって感謝は伝えられなかったので(ちょっと恥ずかしくて)、これを読んでくれてたら幸いです。(読んでない気がする)
そしてよしの(経4)
本当に本当に、よしのがいなかったらバレー部入っていなかったなと。
きっと某部活を続けるか、ちゃらんぽらんな生活するか、のどちらかだったと思います。
よしのは女子学院、私は雙葉なので何かと共通点が多かったのですが
中学時代、地区大会が一緒で試合で対戦したり、練習試合をしたり(よしのは私を覚えてない)
吉祥寺の駿台で同じ現代文の授業受けていたり(よしのは雙葉の制服いるなぁくらいしか覚えてない)
御茶ノ水の駿台での夏期講習と冬期講習でも、小論文の授業が同じだったり(よしの全く覚えてない)
高3時代、私が荻窪の早稲アカに向かうとき、他塾へ行くよしのを何度も見かけたり(よしの気づいてるわけない)
と6年間私の片思いでしたが、体育会バレーボール部に入って晴れてよしのに認知してもらえました。
そんなよしのとは、家も近く、一時間半の帰り道を共にするなど、だんとつで多くの時間を一緒に過ごしてきました。
価値観や考え方も同じな彼女の存在に支えられたこの3年ちょっとでした。
幼稚園から高校まで一貫校という温室でぬくぬく育った私にとって、慶應バレー部というそれぞれのバックグラウンドが全然違う中での生活は、正直しんどい時もありました。
その中で、よしのという私をわかってくれる人の存在はとても大きかったです。
私の存在も、よしのを支えられてれば幸いです。たぶん支えれてたはず!
本当にありがとう。
最後は葵さんとよしのへ送るラブレターになってしまいましたが、もし全部読んでくださった方いらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。
体育会生活を終えた今、振り返ってみてバレーボール部に入って本当によかった、そう思えることがこの3年半がかけがえのない財産になった証拠だと思います。
個性豊かな同期に恵まれ、高校時代も同期8人ではありましたが、全く違った部活生活を送ることができました。
この7人と同期で本当によかったです。ありがとう、いつか8人で飲みましょう笑
後輩たちには、引退した時に「バレーボール部にはいって本当によかった」そう思えるような部活生活を送ってほしいと思っています。
可愛い後輩たち、みんなそれぞれの役割を見つけて自分なりに頑張っていってほしいです。
青木監督、野田さん、土井さん
友理さん、英理子さんをはじめとしたOGの方々
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
悔いも多く残る部活生活でしたが、自分が思っていた役割の半分くらいはできたかな?できていればよいなと思っています。
社会人に向けて、まずは遊び尽くします!
そして、体育会生活で学んだことを社会人になっても忘れず、立派な大人になれるよう頑張ります!
乱文にもほどがありますが、最後ということでお許し下さい。
最後になりますが、チーム2019を応援して下さり、本当にありがとうございました。
チーム2020もどうぞよろしくお願い致します。
早舩瞳子
誰かと一緒に[KEIO GIRLS VOLLEBALL CLUB DIARY]
投稿日時:2019/11/10(日) 22:34
引退した途端渡ハし(渡米のハワイバージョンらしいです)浮かれまくっております、経済学部4年の野見山育実です。日本語を打つのが久しぶりなもので、、乱文必至です。先に謝らせていただきます。
先日の引退試合の日、こんなことを同期から言われました。
「いくみってさ、結構色んなことをやりたがるタイプなのにバレーボールはよく10年も続けたね」
私はその言葉を聞き、確かになぁ、と考え込んでしまいました。
中学の時、「日焼けしなさそう」という理由だけで始めたバレーボール。
自分にセンスがあるとも思ったこともなく、とにかく享楽的で適当で飽きっぽい私がこのスポーツを10年間も続けて来たのはなんでなんだろう。
そう考えてみると、
『誰かと一緒に何かをすること』が
とにかく楽しかったんだなぁという結論に至りました。
10年間の間には、少しは辛いことや嫌なこともあったと思いますが、私は自分に都合の悪いことを覚えていられないので、楽しかったという記憶しか残っていません。
周りに迷惑もたくさんたくさんかけてしまったけれど、それでも本当に楽しかった!と心から言えます。
『誰かと一緒に何かをする楽しさ』を教えてくれたバレーボールに心からありがとうと言いたいです。
これからバレーボールをプレイする機会は減ってしまうけれど、これからもずっと一番大好きなスポーツです。
今後私は社会人になりますが、仕事もバレーボールくらい好きになって、誰かと何かに夢中になることが出来たらこんなに幸せなことはないだろうと思っています。
仕事に関してはバレーボールとは違い、下手の横好きではなく、好きこそものの上手なれであればいいなとは思いますが、、(笑)
私は高校生くらいからこのブログの読者で、初めてこのブログを更新する時はなんだか不思議な気持ちになりました。
でも逆に今は、自分が今後このブログを更新することがないことが不思議に感じられます。
長かったようであっという間、、いややっぱり長かった4年間。
もう現役としてバレーボールをプレイすることはありませんが、皆さま今後ともご指導ご鞭撻のほどどうぞ宜しくお願い申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
感謝[KEIO GIRLS VOLLEBALL CLUB DIARY]
投稿日時:2019/11/03(日) 05:54
経済学部4年の白土恵です。
朝6時にブログを更新するなんて、早起きな印象を持っていただけるかと思いますが、時差の関係で私としてはまだ前日の夜22時です。
今私は同期数人とスペイン旅行に来ています。
つい先日までは6泊8日での旅行などできなかった日々でしたが、10月27日に引退したため、長期旅行ができています。 マドリード、バルセロナと世界遺産をまわり、火曜日に帰国します。
ここで、スペイン旅行記を書こうかと思いますが、流石にラストブログが全て旅行記はまずいかな、、と思うので3割旅行7割バレーボールについて、書こうと思います。
スペインは日本と同じくらいの気候でとても過ごしやすく、毎日2万歩近く歩き回っています。日本の世界遺産しか見たことがない私は、スペインの世界遺産の大きさ、繊細さ、綺麗さに驚き感動してばかりです。
街の中にどん!と現れるガウディの建築物は、日本だったら地震や台風で壊れてるね、という感想を持つくらい馴染んでおり、その意味でもびっくりしました。
皆さまもお時間あればぜひスペインに訪れてみてください。できれば7年後、サグラダファミリアが完成したあとに。
さて、ここからはバレーボールについて書こうと思います。
わたしは10月27日、引退しました。
最後の試合、順位決定戦では成蹊大学さんに負けてしまいましたが、3部昇格という目標をチームとして達成できたことはチーム2019として残せた結果だと思います。そして秋リーグは特に、21人全員でリーグ戦を戦い抜けたと思います。
私はスタメンとして試合に出ることはほとんどありませんでしたが、リリーフサーバーとして、4年間たくさん試合に出していただけました。
監督を恨むくらい、緊張する場面で投入され、結果を残せたときの喜びは忘れられません。私のサーブを信じてくださった監督、そしていつでも前を向いてくれたチームにとても感謝しています。
それでも、最後の1週間は忘れられない強い記憶となって残ると思います。
スタメンとして試合に出るわけではない私は、Aチームから、スパイクやサーブで点をとったり、スパイクを拾えたらとても嬉しかったです。練習のための練習になってはいけないと思いつつも、AチームのためのBチームになれてるという気持ちになれました。
だからこそ、最後の最後に怪我をして、全力でプレーできないことはとても悔しくて、ふとした瞬間に涙が出てくる日々でした。
そんな中、1週間無理してプレーするためのサポート、そしてメンタルを支えてくれたトレーナーの今井先生にはとても感謝しています。ありがとうございました。
26日の創価戦でサービスエースをとったとき、ここに私の4年間つまってるなぁ、と大げさにも思ってしまいました。
これで私の10年間のバレーボール人生は終わります。
お忙しい中、様々なことをご指導くださった監督コーチ、試合の応援に駆けつけてくださるOBOGの方々、現役の頃から沢山のことを教えてくださった先輩方、私たち4年に馴染みつつも、コートの中ではのびのびプレーし、活躍してくれる3年生、向上心闘争心の塊で私たちも頑張らないと、と思わせてくれた2年生、半年間の間でぐんぐん成長し、追いつけ追い越せと切磋琢磨し合う1年生、個性的すぎる8人で、かけがえのない時間を共に過ごしてくれた同期、私にバレーボールを始めるきっかけをくれて、1番近くで支えてくれた両親
ここに書ききれないくらい沢山の方々の支えあっての10年間でした。本当にありがとうございました。
ひとまず、スペイン旅行を始め、残りの学生生活の謳歌し、社会人になる準備をしていこうと思います。
そして4年間で学んだことを今後の生活にも活かしていこうと思います。
ここまで、長文かつ乱文失礼しました。
最後になりますが、チーム2019の応援ありがとうございました。
チーム2020の応援もどうぞよろしくお願いいたします。
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